夏ももうおわりですね

今年は海海海とさんざん日頃から言っている私ではありますが

夏なのに海に一度も行きませんでした

 

でも私生活で大きな変化があって

すごく前向きになれて とてもいい夏になりました

 

海には行かなかったのですが2度目の富士登山をして

満天の星空とご来光を見ることができました

 

登り終わってみるとあんな所まで自分の足で行ったのかと思い

やろうと思いさえすれば何でもできるのかもしれないと

思えて 登って良かったです

 

夏だしと(あんまり関係ないけど)色々と遠出をして展示を見にも行きました

ヴァンジの「庭をめぐれば」とIZU PHOTOの松江泰治

箱根で大巻伸嗣、初めて越後妻有にも行きました

今月は横浜の奈良さんも

 

どの展示も行って良かったなと思いましたが

なにしろ キナーレのボルタンスキーがあまりにも良くて

最後の教室も ひさしぶりに 作品を見てものすごく感動しました

 

キナーレは車の中からキナーレの作品がちらっと見えた瞬間に

胸がどきどきしはじめて なかなかこういう事もないので

そういう作品に出会えたことがとても嬉しくて

他の作品の記憶が吹っ飛ぶくらいでした

 

帰って早速「クリスチャンボルタンスキーの可能な人生」という本を

図書館で借りて読んでいます

 

この本も最初はあんまり面白くないのですが

中頃あたりから 集中しすぎるくらい面白くて

 

いくつもあげるときりがないのですが、彼の芸術理論に対する考え方、

デュシャンに対しての考え方、もちろん死についても

とにかく面白くて、

一生懸命やっては見るし、立ち向かっては行くのだけれど

最初から引いてあきらめている、(例えばある人の記録を残す事はできるけれど

その人自体を永遠に保存する事はできないとか)

そういうスタンスがとても人間らしくて

現美の作品の印象が強すぎて、死に対して直接的すぎる表現で

あんまりいいと思えないと思っていたのですが

本当に越後妻有の展示を見たのがいいきっかけになって

今年の夏の一番いい思い出になりました

 

最後に少し本から抜粋して。。。

 

「アーティストというのは、顔の代わりに鏡を持っている人間で

人々が彼を見るたびに「これは自分だ」と思えるような存在だと思っている。

つまり事実や虚構を含めて自分自身の話をしながら、実は誰もがその中に

自分を確認できるような存在。アートは発見のためにあるのではなく

確認のためにあるのだ。アートは死を妨げようとする試み、

時間から逃れようとする試みだと思っている。

しかしアートは常にある種の失敗作で決して勝つ事のできない戦いだ。

生を止めたり、美しい夕焼けを捉える事は実際には当然不可能だ。

そしてそれを最初からやり損なう事を知っていて

つかみ取ろうとする事がすばらしい。」